国家の一生 2008 7 27
私は、2005年12月23日に最終的な警鐘を鳴らした。
人間に一生があるように、国家にも一生があると。
「農業国家→教育国家→工業国家→金融国家→観光国家」
いくら警鐘を鳴らしても、
自らの意思で、金融国家への道を歩む複数の国があった。
聖書には、こうあります。
「狭い門から入りなさい。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、
そこから入る者が多い。
しかし、命に通じる門は、なんと狭く、その道も細いことか。
それを見いだす者は少ない。」
憂国 patriotically-minded man 2005 12 23
何度も何度も書いていますが、
人間に一生があるように、国家にも一生があるのです。
「農業国家→教育国家→工業国家→金融国家→観光国家」。
かつて、日本では、総合商社ですら、「虚業」と言われたのです。
それは、工業国家日本としての誇りが、そう言わせたのでしょう。
世界を見渡せば、
「製造業が衰え、典型的な金融国家になってしまった国」があり、
あるいは、「現在進行形で、金融国家になりつつある国」もあります。
日本も、金融国家になってしまうのか。
いや、日本は、金融国家にもなれないでしょう。
世界に、金融国家は、そんなに必要ないし、
金融国家にも、「定員」というものがあるでしょう。
日本は、あの花火のように燃え尽きて終わるのか。
ああ日本よ、右翼でなくても、憂国という言葉を使いたくなる。
日本には、「憂国の士」は、いなくなってしまったのか。
サムライの国と呼ばれたのは、もはや昔になってしまったのか。